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眞鍋理佐子(まなべりさこ)さん (41歳/東京都目黒区在住)

 

進学の時も就職の時も、なんの目標もなかったとおっしゃる眞鍋さんですが、今は商社にお勤めで台湾とのお仕事をされています。

「眞鍋」さんという名字、実は旧姓です。旧姓でお仕事をしているのはなぜなのか、今後の夢は?などお伺いしました。

 

華やかな仕事がしたい

思春期を女子校で過ごし、男性と話をすると緊張していた18歳。進学した学校は共学。眞鍋さんは悩み、学校もさぼりがちになりました。

 

-高校を卒業して共学の学校に進学した理由は?

CA(客室乗務員)になるための学科があったので、観光専門学校に進学

しました。

 

-CAになりたかったのですね?

当時テレビで「スチュワーデス物語」を見て憧れてCAになろうと思いました。漠然と、目標もないまま華やかな仕事がしたいと思ったんです。

でも入学して早々に、私の在籍した科には男性はいませんでしたが、他の学科には男性がいて、女子校とのギャップや、男子と話ができる周りの同級生を見て、男子と話をすると緊張する自分とのギャップを感じてしまいました。結局4か月位で観光専門学校を辞めてしまいました。


-その後どうしたのですか?

もう一度学校に行きたいと思いました。でも4年間は長いかなと思って、短大に入りました。短大に入って、秘書になろうと思いました。秘書も華やかな仕事だと思ったんです。私、ポリシーないんです。

ただ、短大は女子だけだったので、とても落ち着きました。

 

-就職は?

ちょうど就職氷河期で、短大卒では就職しにくい時期でした。20社位受けましたが内定は一社も貰えませんでした。総合職ではなく一般職希望、卒業したら仕事をするものというだけの考えで、何をしたいということもなかったので、採用されるはずはないと今は思えます。

 

就職先

就職氷河期ということもあり、自力で就職試験に合格できなかった眞鍋さんは、叔母さんの「つて」を使って就職することができました。

 

-結局、就職先はみつかったのですか?

見かねた叔母が、自分が勤めているアパレル会社で販売の仕事をしたらどうかと言ってくれました。私は販売の仕事はしたいとは思っていなかったのですが、そんなことも言っていられないので、入社試験を受けて採用通知をもらいました。縁故入社ですよね。それでも、就職先が決まったのでホッとしました。その後は、アルバイトをしました。

 

-何のアルバイトですか?

社員数数名のハードウエアメモリーの販売会社で、当時、パソコンが普及し始めたばかりだったので、増設メモリーの需要が多く、その会社は右肩上がりの業績でした。私は倉庫で物流の仕事をしていました。
そこで、バイト先の社長に「うちの会社に入れ」と声をかけていただいたんです。

 

-縁故で入社決まっていましたよね?

そうなんです。内示も貰っていたし、入社式の案内も貰っていました。販売よりバイト先の物流のような事務的な仕事の方が自分には合っていると思ったこともあり、叔母にはきちんと話をして、内定のお断りを入れました。

 

 

私のための産休育休制度、1年を経て復帰

社員数名の会社で、業績が伸びているということは、一人に対する負担が大きいということだと、入社後に眞鍋さんは気が付きました。

 

-自分で見つけた就職先ですよね、やりがいがあったのではありませんか?

内勤営業として、出荷や電話番などをしました。

でも、業績がいいということは残業も多く、生半端な学生時代のバイトとは全く違っていました。私は一度専門学校に入ってから短大に入り直したので、就職は同じ年齢の友人より1年遅いわけです。就職して1年経つ友人たちは、仕事にも慣れ自分の時間も作れるようになっていました。でも新入社員の私はそこまでの余裕はないので、友人の誘いに参加できないことが続きました。

そこに不満を持っていると、先輩からは「学生じゃないんだから、嫌ならやめてもいい」と言われました。

会社はどんどん大きくなっていきましたし、自分の意見も聞いてくれるので、居心地はよかったんですけどね。

 

-辞めてしまったのですか?

悩んでいました。

でも、悩んでいたときに妊娠がわかったんです。「できちゃった結婚」ですが、妊娠の前からお互いの家族公認でしたから、自然に結婚になりました。

当時会社には産休や育休制度がなかったのですが、監査役が制度の仕組みを作ってくれました。私は1年間育休が欲しいとお願いして、それも認めてくれました。23歳の時でした。

 

-1年間の育休を経て仕事復帰ですね?

そうです、希望通り1年取れました。

でも私、何も考えないで1年取ったんですよね。

子どもは9月生まれで、翌年の10月に仕事復帰したのですが、10月に保育園に入れるわけがないんですよね。そんなこと何も考えずに、子どもと一緒に居たいというだけで、1年取ったんですよ。

それと1年ちょっと休んだら、会社が変わっていました。数人しかいなかったアシスタントが、営業の人数だけいて、それもみんな20歳位の若い子でした。

 

-保育園はどうされたのですか?

当然入れるわけなく、無認可保育園(※認証保育園)を利用しました。保育料は月に7~8万円と高かったですし、熱を出しやすい子だったので、よく迎えに行きました。それに、小学校に入るまでに7,8回入院しましたね。

※無認可保育園は、認可外保育園とも言われます。東京都は認証保育園(東京都独自の制度)、神奈川県は認定保育園(神奈川県独自の制度)と言います。


-仕事と家庭の両立はできましたか?

仕事を切り上げて子どもを迎えに行くことで、会社には迷惑をかけていると感じていましたし、保育園料は高いし、会社ではなかなか理解してもらえないところもあるし。

公園デビューもしていたので、ママ友に話すと「だから復帰しない方がいいって言ったじゃない」と言われるし。

でも仕事は辞めたくないし・・・

 

-辞めることは考えなかったのですか?

腰掛で入社したのに、辞めることは考えませんでしたね。辞めたくなかったですね。ダンナさんからは、子どもが生まれてからは「ママ」とか言われるようになって、「あなたのママではない」と思っていました。

仕事は自分の居場所ですね。

 

-ご主人の協力はありましたか?

とても協力的でした。

子どもが入院した時は、私が病院から会社に出社することが続いた時期もありましたが、義母や私の母も家に泊まりに来て、サポートしてくれました。

看病と仕事で、私が倒れてしまったことがあるのですが、ダンナさんもサポートしてくれて乗り越えました。

 

-仕事に支障はありましたか?

私もアシスタントだったので、私が休むことで誰かが私の担当する営業の人の仕事をしないといけないし、営業の人は私に話したことをもう一度別の人に説明しないといけないんですよ。そいうこともあり、会社は私を「アシスタントリーダー」にしてくれました。

若いアシスタントを管理する立場であれば、私が休むことで直接的に迷惑をかける担当営業はいなくなりますからね。

 

 

部下を持つことで立場が変わる

アシスタントリーダーになったことで、会社との関係に変化が生れました。そして、右肩上がりで上場を果たした会社の事業内容にも変化がありました。

 

-部下を持って、何か変わりましたか?

それまでとは違って、部下を守るために会社にものを言うようになりました。そのせいでしょう「物流」部門に、といっても倉庫の内勤ですが、異動になりました。

異動するか辞めるか考えましたが、行ってみてから考えようと思って、異動を受けました。

 

-異動してどうでしたか?

色々考えました。そして、人に言う前にみんなで考えないといけないと思うようになりました。

その頃、会社は上場していたのですが、世の中の動きに合わせて事業内容も変わっていきました。そのため10数人の転籍が必要になり、私はその一人として転籍しました。

それが今勤務している会社です。

 

-今の会社ではどのような仕事をなさっているのですか?

電子部品や半導体を輸入することが主な業務の商社です。100人位の会社で約400億円の売上があります。営業の仕事はしたことがなかったのですが、今の会社で一から教えてもらいました。平均年齢が高く経験豊かな人が多い会社だったので、色々教えてもらえて楽しかったです。

今は台湾から電子部品に限らず半完成品を輸入して国内の企業に販売する部署で仕事をしています。

 

-出張などもあるのですか?

そうですね。国内の日帰りや2、3泊の出張もあります。台湾への数日間の出張もあります。

 

 -そういうとき、お子さんはどうされるのですか?

子どもは高2になりましたからね、短期間なら心配はありません。

短大と高校の時の友人が、何かあったら言ってと言ってくれているので、お願いすることもあります。ほんとうに心強いです。

 

将来の夢

実は「眞鍋」さんという名字は旧姓です。どうして旧姓で仕事をしているのか、眞鍋さんには明確な答えがありました。

 

-ご結婚後も旧姓でお仕事をされているのはなぜですか?

仕事を続けていることもそうですが、自分の居場所でしょうか。「ママ」ではなく「私」としていられる「居場所」ですね。結婚していても、子どもがいても、自分の居場所を持ち続けたいと思って旧姓のまま仕事を続けました。

 

-今後の夢は?

今は新規事業の部署で台湾と日本国内企業との間で仕事をやっているんですが、実はこの仕事、とてもやりがいを感じているんです。仕事に必要な中国語の勉強のため早大のオープンカレッジ通っています。将来、起業するなどの方法で台湾との仕事をしたいと思っています。

 

それともうひとつ、それぞれの女性のライフスタイルに合わせて、持っている時間や能力を活かせるような何かを作りたいと考えています。たとえば、働きながらもっと勉強したいと思っている人と、夜に教えたいと思っている人とを組み合わせることで、お互いに都合の良い夜の時間に教育の場を設定することができるようなことがしたいと思っているんです。これからもう少し時間をかけて具体的にまとめようと思ってます。

 

親としての夢もあるんです。私は仕事で台湾にいて、アメリカに住む娘と電話やメールでやり取りする!まだ高校生の娘と、そうなったらいいねと話しています。

後悔しないように、いつ死んでもいいように、生きたいと思ってます。

 

眞鍋さんの声

(子育て中の女性に何かコメントをとお願いしたところ)

諦めないで欲しい。諦めている人が多いです。

同窓会では、働いている私に対して「すごいね」と言いつつ「私にはできない」と友人たちは言いました。私は高校時代「野球チームが出来るほど子どもを生みたい。パソコン打ちが好きだから、レジ打ちのパートをする」と言ってたんです。そんな私でも、今はこんな風にできています。

だから諦めないで挑戦して欲しいし、女性でもできるんだよということを世の中に見せて欲しいです。

 

女(JOB)ブ活からのコメント

台湾出張から戻った翌日にインタビューの時間を取ってくださった眞鍋さんは、とっても小柄で、話からイメージする姿とは違うかもしれません。

これまでの経験を全て自分の『力』にしてご自身が変化された様子が、お話を聞いていてよくわかりました。

 

眞鍋さんのお話の中に「部下を持った」という部分がありました。

今、「女性管理職を増やす」取り組みや「女性も管理職を目指そう」という指針が多くあります。しかし女性側の多くは「あんなに大変な管理職になりたくない」と言います。

これ本当は「管理職を目指す意識を持った女性社員を育てる」が根底にあるんですよね。その実現のために、具体的に目標女性管理職の%を提示したり、男性が育休取得するように推進しているわけです。そして、女性管理職といいながら、「おい、男もがんばれよ」という含みもあるのではないでしょうか。

 

最初から「管理職になりたくない」と言うのではく、「管理職にならないか」と言われた時になるかならないか自分が選択できるのって、よくないですか?

 

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